奈良盆地を東西に横断し大阪から伊勢へとつなぐ横大路。平城京から吉野、熊野へと南北に縦断する下ツ道。この二つの古道の交差点を中心に発展したのが八木札の辻です。八木札の辻の賑わいは江戸時代に描かれた西国三十三所名所図会にも記されています。今もこの周辺には江戸時代からの歴史的な街並みが残り、生活の場として生き続けています。八木の町には伝統的な町家がおよそ300軒も残されており、街道の宿場町として栄えたころの面影を見ることが出来ます。

西国三十三所名所図会 八木札街

西国三十三所名所図会に二軒の旅籠が描かれています。横大路と下ツ道の交差点に位置するこれらの旅籠は現在も残されており、一軒は八木札の辻交流館として一般公開されています。旅籠の脇には名所図会に描かれている井戸の姿もあります。江戸時代に伊勢神宮へ参拝するお陰参りが盛んとなり、その参詣道として横大路も利用されていました。伊勢神宮参詣の道案内として設けられた大神宮灯籠が今も残されています。

八木札の辻交流館

八木の町では毎年8月23日から25日に愛宕祭りが行われています。火災の多かった江戸時代に愛宕信仰が広まり、火伏の神を祀る祭りとして行われるようになりました。夜になると露店が並び多くの人で賑わいます。町の中で立山とも言われる造り山を目にします。神様へのお供えとして作られるもので、1年にあった出来事などを報告する捧げものです。およそ300年の伝統を持つ愛宕祭りは江戸から続く町並みとともに地域の人たちに愛されています。

立山とも言われる造り山

八木の町には数多くの歴史的な建造物があります。奈良県立畝傍高等学校の校舎は昭和8年に竣工したものです。中央の屋根には塔を配置し、寺院のような意匠が特徴です。旧六十八銀行八木支店は昭和3年に竣工。奈良県南部に現存する最古の鉄筋コンクリート造りの一つです。JR畝傍駅は皇族方の畝傍御陵参拝のために誕生しました。天皇の執務用として貴賓室が設けられています。また、この地方伝承の小麦を使いきなこをまぶした小麦餅はさなぶり餅と呼ばれ、八木の名物の一つです。

畝傍高等学校

古代から人々が行き交う幹線道路の交差点を中心に商業が発展、文化が行き交った八木の町。長い時を超えて風情溢れる景観を作り出しています。


日本風景街道での八木紹介動画